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第1話
二宮尊徳が生まれた時代~江戸後期の関東農村

 成田山には歴史に名を残す偉人たちが数多く参詣していますが、篤農家として知られる二宮尊徳もその一人です。
 当時、ある苦難に直面していた尊徳は成田山に参籠して21日間の断食修業を行い、その後の人生における新たな指針を得ます。文政12年(1829)のことでした。現在、境内の水行堂の横には「二宮尊徳開眼の地」という石碑も立っています。
 今回から、成田山参詣により人生が大きく変わった二宮尊徳の生涯を追っていきます。
 天明7年(1787)に、二宮金次郎こと尊徳は現在の神奈川県小田原市にあたる相模国足柄上郡栢山村で農民二宮利右衛門と妻の好(よし)の長男として生まれました。そして、安政3年(1856)に70才で生涯を終えます。金次郎が通称で、尊徳と名乗ったのは天保13年(1842)のことです。
 今回は、尊徳が生まれた時代について解説していきましょう。
 尊徳が生まれた時代は江戸三大飢饉の一つに数えられる「天明の大飢饉」により、農民たちが飢えに苦しんだ時に当たります。尊徳が生まれ育った関東は、冷害のため作物の生育が非常に悪く大凶作となりました。それに拍車を駆けたのが、天明3年(1783)の浅間山大噴火でした。
 年貢の負担に耐え兼ねた農民たちが逃げ出す事例は跡を絶たず、農村の人口は減少の一途を辿ります。耕す農民を失った農地が荒廃するのは時間の問題でした。
 となると農業生産量は減っていきますが、最も影響を受けたのは米でした。米価は高騰し、農民のみならず都市に住む町人たちも飢えに苦しみます。
 ついに、全国各地で米騒動が起きましたが、その社会現象は、「天明の打ちこわし」と呼ばれています。将軍のお膝元の江戸でも、尊徳が生まれた天明7年に米の安売りを求める騒動が起き、幕府に強い衝撃を与えます。
 事態を危険視した幕府は、将軍徳川吉宗の孫にあたる松平定信を老中に抜擢し、寛政改革と称される政治改革を断行します。その柱の一つが農村の復興でした。幕府の農政の大きな課題となります。
そんな時代に生まれ育ったのが尊徳でした。農村復興が叫ばれるなか、成長した尊徳はその課題を自らのミッションとして生きていくことになります。

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成田山と二宮尊徳