旬をお届け 今月の成田山 ひとこと説法「今月のひとこと説法」
江戸出開帳

今月のひとこと説法

私たち日本人は、昔よりお互いに助け合い、支え合っていることを「お互いさま」と丁寧な言い方をしてきました。自分がお世話になり、他人に奉仕することの大切さを自覚しているからでしょう。
また、周りにいる人だけでなく、既に亡くなった人々や自然に対しても、感謝の気持ちを表すため「お陰さま」と言ってきました。「陰」とは、太陽の光が当たらないところ、あるいは目立たない、隠れているという意味です。直接、自分の目で見たり、触れることはできませんが、生きている私たちの生活を陰で支えてくれているものに対して「お陰」と言いました。
更に、日本には「恩おくり」という言葉があります。「恩返し」は善意を受けた人に対して直接お返しをすることですが、「恩おくり」は自分の受けた善意を別の人におくることであります。
このように「お互いさま」や「お陰さま」という感じ方や受け止め方は、謙虚さや反省の心を引き出してくれる上でとても大切な心であり、私たちも多くの人々に支えられていることに感謝する生活を送りたいものです。
人知れず行われる善行の奉仕というものは、正に慈悲の極みであり、お不動さまの御教えの実践行につながるものでもあります。
(2017年4月1日)

今月のひとこと説法

誘ひあひ彼岸詣の老姉妹 星野立子

3月に入ると次第に寒さも緩み、境内もやがて本格的な春の暖かい陽気に包まれます。彼岸は3月の春分、9月の秋分を中日(ちゅうにち)とした7日間をいい、お寺では彼岸会(ひがんえ)という法要を行い、お墓詣りをしてご先祖さまを供養します。
彼岸会は平安時代には「はれの行事」として宮中で盛んに行われていました。江戸時代になって民衆に広まり、先祖供養の風習と結びついていったといいます。
彼岸とは「彼(か)の岸」で仏教の悟りの境地をいい、これに対して「此(こ)の岸」此岸(しがん)は、私たちが生きるこの世界をいいます。
私たちが生きているこの世界は、不安や悲しみ、怒り、悩みなど様々な「苦しみ」があります。この苦しみの世界である「此の岸」から離れ、仏さまの安らかな悟りの境地である「彼の岸」へ到るところに彼岸会の本来の意義があります。
彼岸会は、ご先祖さまを敬うとともに自分自身の心のありようを見直す大切な行事です。
(2017年3月1日)

今月のひとこと説法

2月15日はお釈迦さまが80年の生涯を閉じ涅槃に入られた日です。成田山では、この日をお釈迦さまの遺徳を偲び報恩感謝の気持ちをあらわす日として法要を執り行います。

お釈迦さまは嘆き悲しむ弟子に対して最後の説法として「自らを灯明とし、法を灯明として生きなさい」と説かれました。自らの心と向き合い、お釈迦さまの教えを道標にして仏道修行に励みなさいということです。
そもそも「涅槃」という意味は、「吹き消す」という状態を示します。焚き火が燃えつきたように、全ての煩悩の炎が消え、心の波立ちがおさまり安らいだ状態です。私たちの心には数多くの煩悩がありますが、それは心の迷いや執着から生まれるものです。具体的にいえば、愛情や好・悪、浄・不浄など偏った思いがそれにあたります。
涅槃会にあたり、今一度、自分の心を見つめ直し、お釈迦さまの教えに触れる機会を得てください。
(2017年2月1日)

今月のひとこと説法

新年を迎え、成田山には大勢のご信徒が初詣してお不動さまへ年頭の祈りを捧げています。一日の計を朝に求め、一年の計を元旦に求めるのは古今変わりなく、願いに併せて「今年は…」「今年こそは…」と昨年果たせなかった目標をお不動さまに誓われている方も多いことと存じます。しかし、思い返してみれば、固かった決意も困難にぶつかって挫けたり、思ったような結果を出せず、気付かぬうちに決心も薄れて一年が終わる。心当たりのある人も居られることでしょう。
心というものは絶えず揺れ動くものです。
お不動さまは堅い石の上にお座りになり、人びとを救い導こうとする揺るぎのない決意と、燃えさかる火炎でひたすら精進し続けることの大切さを私たちに示されています。私たち不動尊信仰者は、この御教えを一日一日実践し、積み重ねていくことで、実りある一年とすることができます。
お釈迦さまの言葉を集めた経典『法句経』の一節に「屋根をよく葺いてある家には雨の漏れ入ることが無いように、心をよく修養してあるならば、情欲の侵入することが無い」とあります。毎日を精一杯取り組み、平成29年を輝かしい一年にしたいものです。
(2017年1月1日)

今月のひとこと説法

師走の声を聞けば、過ごして来た一年に思いを巡らせ、我が身を顧みられる方も多いことと存じます。私たちは日々の暮らしの中で、忙しさに追われるあまり、いつしか自己中心の考え方に陥りがちです。我が身のかわいさから自分の嫌な部分に目をつむり、思い遣りの欠けた言葉で誰かを傷つける。思い当たる方もいらっしゃるのではないでしょうか。
お釈迦様の御教えの一つに「四無量心」があります。慈・悲・喜・捨という四種の心の境地で、言い換えれば、仏が生命ある全てのものに対して持つ、あわれみの心です。慈は生きとし生けるものに楽を与えること、純粋の真愛でもあります。悲は他者へのいたわりを意味し、苦しみを抜くこと。喜は他者の喜びをもって己の喜びとすること。捨は一切を捨て去り、誰に対しても平等であることです。
この四種の心の境地は簡単に会得出来る物ではありませんが、心がけて生活することで平安な毎日へと繋がります。繰り返す日々の中で、本来清浄な本当の自分を見失うことなく、輝かしい新年を迎えたいものです。
(2016年12月1日)

今月のひとこと説法

11月、立冬を迎えると季節はいよいよ冬になり、燃えるように真っ赤に染まった紅葉もやがて色を失いはらはらと散っていきます。枯葉が散っていく情景は見る人にさびしさや悲しさを感じさせます。しかし、木々にとって枯れた葉を落とすという行為は、水分や栄養を調整するためであり厳しい冬の寒さと乾燥を生き抜く知恵なのです。こうした生きる力は、私たち人間にも備わっているそうです。今年、ノーベル生理学・物理学賞を受賞した東京工業大学大隅良典名誉教授は、細胞の持っているオートファジーの仕組みを解明しました。貧環境の中で生き残るために自らが活動の活性を下げるという自然界のはたらきが、人間の細胞レベルにまで組み込まれているといいます。
赤々としていた葉が枝から離れていく様子は、生命が力強く生きんとする姿そのものです。尊い生命の根源にある生きる力に感謝しつつ冬の季節を迎えましょう。
(2016年11月1日)

今月のひとこと説法

成田山では十月と十一月に七五三祝祷を行っています。七五三は子どもの成長をお祝いし、さらなる健やかな成長を祈る儀式です。
現在は通過儀礼のひとつというイメージですが、かつて乳児死亡率が高かった時代には、どうにか三歳になった、やっと五歳まで成長した、ようやく七歳を迎えられたと成長した我が子の命を祝う親にとって、この上ない慶びの行事でした。
どの親も子どもの成長を慶びますが、成長は「老い」のひとつの形といえます。こう見ると一般的に幼児の「老い」はプラスに、老人の「老い」はマイナスに考えられ、私たちが時と場合によって自分勝手に解釈して喜んだり悩んだりしていることがわかります。
お不動さまが右手に持する利剣は、私たちの偏った考え方やこだわりを断ち切り、正しい道へと導いてくださいます。思い込みや偏見にとらわれず、ありのままを受け入れることができれば、これまでと違った「老い」の見方ができるでしょう。
成田山境内が七五三でにぎわうこの時期、元気な子どもたちの姿を見て、「老い」について考え直す機会にしてみませんか。
(2016年10月1日)

今月のひとこと説法

「名月や池をめぐりて夜もすがら」(芭蕉)
今宵の名月を池に映すなどして楽しんでいるうちに、いつのまにか夜を徹してしまうことになった。

「名月の花かと見へて綿畠(わたばたけ)」(芭蕉)
名月のもと、白くはじけた綿の実が月光に照らされて、まるで花のように見える。

中秋の夜長に月を観賞しながら、縁側や床の間へススキや団子、里芋、秋の果物などを月にお供えして、収穫への感謝と明年の豊穣を祈る、お月見の時期となりました。月といえば、真言宗の修行の一つに「月輪観(がちりんかん)」という瞑想法があります。
「月輪観」とは、満月が「かけたもののない完全なもの」ということから、瞑想によって自己のストレスや固定観念から解放され、より清らかで澄みきった心が満月に近づくということを表しています。
澄みきった満月を深く瞑想することにより、私たち一人ひとりの中にある清浄な心が深まり、月と心が一体となったとき悟りが実現する、「神秘の行(ぎょう)」と言われています。
自己を見つめて、お参り月である9月を過ごしましょう。
(2016年9月1日)

今月のひとこと説法

8月に入ってまもなくすると多くの地域でご先祖さまをお迎えするお盆の準備に入られることと思います。誰もが経験した夏休みの思い出は、両親の故郷でのお墓参りや盆踊りに参加したりと様々ではないでしょうか。
お盆の起源を示したひとつにお釈迦さまが餓鬼道に落ちた目蓮尊者の母を救う手立てのお話があります。それは、僧侶が雨期に行う修行を終えた7月15日に僧侶や過去七代の父母と産み育ててくれた両親、困っている人々を施し、その功徳によって母親を餓鬼道から救うことができたというお話です。
お釈迦さまは亡くなった父母や七代の父母を思い、毎年7月15日に仏と僧、多くの人々に供養し、限りない愛情を注ぎ育ててくれた父母の慈愛に報いなさいと説かれました。
今なお、日本においてお盆の風習が絶えないのは、父母の恩が変わらず私たちの心の支えであるからです。お盆休みには、ご先祖さまに感謝の気持ちを込めて供養し、今生かされている命のありがたさに思いを馳せるひとときをお持ち下さい。
(2016年8月1日)

今月のひとこと説法

2016年2月タイトル

「出た出た月が」の歌い出しで知られる、唱歌『月』の「盆のような月」とは、満月を食器などを運ぶ、あの「お盆」に喩えたもので、年中行事の「お盆」とは異なるものです。
年中行事のお盆は、梵語のウランバナ(ullambana)を音写したとされ、「盂蘭盆(うらぼん)」と言うのが正式で、『仏説盂蘭盆経(ぶっせつうらぼんきょう)』によれば「盂蘭盆」は7月15日とされます。
現在「お盆」というと、新暦7月15日と新暦月遅れの8月15日、旧暦7月15日のお盆(平成28年は8/17)があります。地域によってそのいずれかを採用し、あるいは地域独特の日取りもあるようです。
日本の暦は、明治以前は太陰太陽暦(たいいんたいようれき)(旧暦)を用い、15日周期で朔望(さくぼう)を繰り返えす「月」の動きにより、月日を定めておりました。したがって、旧暦7月15日は、およそ満月になるのです。
江戸時代までは、お盆にご先祖様をお迎えし家族と夕餉(ゆうげ)を囲むとき、「まるいまるい まんまるい」お月様が、夜空でその様子を見守ってくれました。
あながち「盆のような月」と、まったく無関係とも言えないのでは?
(2016年7月1日)

今月のひとこと説法

2016年2月タイトル

慶長16年6月4日、真田十勇士で有名な真田幸村の父、真田昌幸は蟄居の地「九度山」にて、65歳の生涯を閉じられたそうです。
九度山とは、高野山麓の地名で弘法大師ゆかりの地であり、女人高野として知られています。この九度山のお寺の御本尊は弥勒菩薩ですが、この弥勒菩薩には金襴の袈裟衣にまつわる大事なお話が伝えられております。あるとき釈尊の姥母・大愛道が自ら縫製した金襴衣を喜捨しようとしたところ、釈尊は自分一人だけではなく修行僧全員に与えるようにと諭されますが、その施しを受ける者がなかなか現れません。そしてついに弥勒菩薩がこれを被着することになりました。釈尊はそれを知り、弥勒菩薩に授記(次の生での成仏を約束すること)されたとのことです。
この金襴の衣を身に纏うことは、法の正当な継承を意味するとともに修行に対する決意の堅固さを示しているものです。成田山の大護摩修行では、大本堂で修法する導師は必ず金襴の袈裟衣を被着することになっております。一見絢爛豪華で贅沢に見えますが、実のところは正当な教えを受け継いで精進修行している姿なのです。
(2016年6月1日)

今月のひとこと説法

2016年2月タイトル

成田山新勝寺での御護摩や法要で必ず唱えるお経に、『大楽金剛不空真実三昧耶経 般若波羅蜜多理趣品』略して『般若理趣経』があります。特に真言宗で、大切にされているお経です。

『般若理趣経』では、この世界とそこに住む私たちが本来清らかであることを説いています。私たちは栄華や成功を欲し求め、衰亡や失敗は嫌って目を背けようとします。しかし仏さまが見れば、栄華と衰亡に差は無く、どちらも世界のあらわれ方のひとつに過ぎません。それに一喜一憂するのは、私たちの迷いのためなのです。

願いがかなえば成功といって喜び、かなわなければ失敗として落胆するのも、心の惑いに過ぎません。成功しても失敗しても、どちらもこの世のあらわれとして素直に受け入れれば、経験は将来への糧となって活かすことができるでしょう。つらい時にはお不動さまの耐え忍ぶ姿を想い、心を惑わさずに生きてまいりましょう。
(2016年5月1日)

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