成田山新勝寺 千葉県成田市成田1

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弘法大師と興教大師

弘法大師と

成田山

真言密教の開祖、

弘法大師空海

弘法大師の足跡

弘法大師空海は、宝亀5(774)年現在の香川県善通寺市にお生まれになりました。留学僧として唐(現在の中国)に入国し、青龍寺の恵果和尚より真言密教の教えを授かりました。帰国された後、真言宗を開かれ高野山の開創や東寺での教宣活動のほか、日本初となる庶民のための学校「綜芸院種智院」を創設し、社会活動を積極的に行いました。

成田山とのご縁

成田山の御本尊である不動明王は、真言宗の祖である弘法大師空海が自ら祈りをこめて敬刻開眼された御尊像です。成田山では弘法大師が中国より伝来された真言密教の教えにより、千年以上、御護摩祈祷を続けています。

興教大師と

成田山

真言宗中興の祖、
興教大師

興教大師の足跡

興教大師覚鑁は、嘉保2(1095)年、現在の佐賀県鹿島市にお生まれになりました。20歳の時に高野山に登られた興教大師は、鳥羽上皇の支援を受けて高野山を整備、弘法大師の教えを再興するとともに、学徒を養成し、「新義」といわれる教学を確立しました。これが真言宗中興の祖と呼ばれるゆえんです。その後、高野山の座主にまでなりますが、権力の争いを避けるため、その座を降り、根来山(和歌山県)に移られます。この地の整備をすすめていましたが、3年後に49歳で入滅されました。

成田山とのご縁

興教大師は高野山から根来に移り真言教学を再興させ、後に真言宗中興の祖と仰がれます。成田山は興教大師の教えを受け継ぐ真言宗智山派の寺院です。

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